どうも、サーファーのTakAです。
TVやネット上で『自己責任論』が話題に上がる時、そこには必ずと言っていいほど、当事者を攻撃する者の存在があります。
こんな風潮に対して、僕は言いようのない冷たさを感じてきました。
あなたも同じように感じたことがあるんじゃないでしょうか?
日本では、本来のResponsibility(選択の自由に対して反応する能力)の意味からかけ離れて、
「オレは他人の尻拭いまでしないからね」
「自分のことぐらい自分で面倒見てね」
って感じで、自己責任が「他者の切り捨て」として論じられています。
この記事では、こうした日本にはびこる自己責任論がいかに的外れな議論であるかをあぶり出し、個人が主体性を発揮して暖かい社会を作っていくためのヒントを提示します。
また、以下の関連記事も一読されると、より理解が深まるかと思います。
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かなり抽象度の高い話になってくるので、ブックマークやお気に入りに登録して、できればメモを取りながら読み返してみてください。
自己責任論とは?
辞書的な意味は下記の通りです。
自分の行動の結果として危機に陥ったのなら、自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではない、といった論理を基調とする考え方。危険であることが事前に予測できたにもかかわらず、危険を顧みずに敢行したのだから自業自得だとする考え方。
Weblio
日本において、自己責任論は
「自分のことは自分でなんとかしましょう」
ってニュアンスで語られているようです。
自己責任論の問題点
自己責任論が話題になったり、ネット上で炎上したりする時、日本では、当事者を突き放すような冷たくて殺伐とした様相を呈します。
極端な表現に感じるかもしれませんが、それはまるで、弱ってる人を血祭りにあげてるように見えなくもないです。
日本ではことあるごとに自己責任論が浮上しますが、それらの主要トピックを以下に挙げてみました。
貧困は自己責任なのか?
近年、日本では貧困が社会問題になっています。
国民の年間所得の中央値の50%に満たない所得水準の人を相対的貧困と言いますが、厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」によると、日本の相対的貧困率は15.6%にも及んでいます。
これは実に7人中1人が貧困状態であることを意味します。
こうした状況に対して、ネット上では、
「貧困になったのは本人が努力しなかったからだ」
という批判が多くみられます。
こうした貧困層に対して、かなり冷たい視線が送られていますね。
ちなみに、国際的なアンケートによると、「自力で生活できない人を政府が面倒見る必要はない」と答える人の割合は、ほとんどの先進国で10%程度なのに対して、日本では38%とぶっちぎりだったようです。
参照リンク:
It is the responsibility of the government to take care of very poor people who can’t take care of themselves.
こんな状況においても、「世間様」に迷惑をかけるのを恥と考える日本人の国民性も手伝ってか、生活保護の申請を躊躇う世帯もあるようです。
また、生活保護受給者に対しても、「落ちこぼれ」の烙印を押すような冷酷な社会雰囲気を感じてる人も少なくないように思います。
ジャーナリストがテロ被害に遭う
そもそも、自己責任論というのは、2004年にイラクで日本人ジャーナリストが拘束・殺害されたことをキッカケに浮上しました。
「彼らは危険を承知で行ったのだから、こういう目に遭っても仕方がない」
ネット上ではこうした意見が数多く寄せられたようです。
また、2018年にシリアで反武装勢力に拘束されていた安田純平氏が解放されたことに際しても、ネット上では「自業自得」と批判の意見が多く挙がりました。
安田さん本人も、
「日本政府が退避勧告を出している紛争地にあえて入っていく以上、相応の準備をし、何か起きた場合は自分で引き受ける態勢と、心の準備をして入るものだと思います。そういった中で自分の身に起こることに対しては、はっきり言って自業自得だと考えています」
と述べた上で、個人の自己責任と、政府がどう対応するかは別物だとの見解を示していますが、この解釈には僕も賛同しています。
シングルマザーも自己責任?
厚生労働省の調査によると、日本では「ひとり親世帯」の貧困率が高いそうです。
中でもシングルマザー(母子家庭)の世帯年収が極端に低く、子どもの将来のための貯蓄もままならないそうです。
参照リンク:社会課題を、知って、支援できる[ グッドゥ ]
「貧困に悩むシングルマザーの食事や生活とは?自己責任と言われる風潮から脱出するには」
それでもネット上には、
「離婚して生活が苦しくなるのなら、初めから結婚なんてするべきじゃないし、ましてや子供なんか作るべきじゃない」
「シングルマザーの貧困は自己責任だから、そこに税金をかけて欲しくはない」
と、やはり自己責任論が蔓延しています。
就職氷河期も自己責任?
1993年~2004年に最終学歴を持つ人たちのことを就職氷河期世代と言いますが、この時期は極端に求人が少なくなって失業率が急上昇しました。
近年、政府民間問わず、これらの就職氷河期世代を支援する動きも出てきてますが、これに関してネットで検索してみると、ここでもやっぱり自己責任論です。
日本社会にはびこる自己責任論という名の他者批判は、かなり根深いものがあるようです。
なぜ、日本ではこんなにも他人の責任を追及する風潮があるのでしょうか?
他人の尻拭いをしたくない、という意識
第三者が安易に他人の自己責任を追及するのには、
「他人の責任のツケが自分に回ってきては困る」
って心理が働いています。
日本社会のマジョリティは、
「他人の尻拭いをしたくない」
という意識を持っているのです。
他人の責任を追及する見返りと言っては何ですが、そうしている限り、自分に責任の所在が回ってくる可能性は低くなりますから。
要は、「隣人を助ける」という意識が希薄なわけです。
共同体としての隣人愛が欠如した社会
日本社会というのは、キリスト教で言うところの、いわゆる「隣人愛」というものがかなり希薄だと感じています。
オーストラリアでは中古車の値段が高く、30万~40万キロでも乗り続けることはザラなんですが、そんな事情もあって、路上ではエンストしていたり、何らかのトラブルで立ち往生している車を見かけることも日常茶飯事です。
僕も御多分にもれず、かつて乗っていたボロ車が路上でエンストしてしまった経験が二度ほどあるんですが、そんな時、必ずと言っていいほど、後ろから車を押してくれる人が現れます。
中には、自分の車からわざわざ降りてきて、助けてくれる人もいます。
もちろん、僕も他人の車を押してあげたことは何度かあります。
日本では、なかなか見られない光景ですよね?
オーストラリア人というのは、
「イージーゴーイングすぎる」
「無責任すぎる」
と言われることもしばしばですが、日本よりはるかに共同体としての助け合いの精神というのが根付いています。
と言うか、むしろ日本とは正反対の雰囲気がありますね。
日本人のイメージの二面性
僕は日本を旅したことがあったり、日本人の友人を持っている外国人から、会話の中で、
「日本人は大人しくて親切だ」
という言葉を耳にしたことが何度かあります。
もちろん、日本人として嬉しく思いますが、それと同時に、
「本当にそうかな?」
という矛盾した気持ちもあったりします。
どうやら日本人は、
・優しくて親切
・他人に無関心で冷たい
という二面性を持っているようです。
優しく親切な日本人
東京五輪の招致演説で滝川クリステルさんは日本人の「おもてなしの精神」をアピールして喝采を浴びました。
素晴らしい演説でしたよね。
演説の中には、こんな内容も盛り込まれていました。
「もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。例え現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました。」
これに関しては賛否両論があると思いますが、僕も落とした財布をそっくりそのまま交番に届けてくれた、という経験があるので、そこまで極論ってわけでもないように感じます。
また、(個人的にはやりすぎだと思ってますが)「お客様は神様」信仰も手伝って、サービス業における接客は異常なほど丁寧です。
海外旅行をされたことがある方は、共感してもらえると思いますが、日本人のサービスの平均値はかなり高いです。
外国人旅行客に英語で道を聞かれた際、自身が英語が苦手でも頑張っちゃう人ってけっこう多いんじゃないでしょうか?
日本人は「優しくて、親切で、礼儀正しい」と自分で言っちゃってたりしますが(笑)、これもあながち間違ってはいないように思います。
その一方で、他人に無関心で冷たいという、矛盾した側面があるのもまた事実です。
他人に無関心で冷たい日本人
先述したオーストラリアの例でも、もし日本で同じように車がエンストしていた場合、どれだけの人が手を貸そうとするでしょうか?
後ろから車を押してあげる人もいなくはないでしょうが、そんなに多くはないように思います。
むしろ、「自分には関係ないこと」として見て見ぬフリ、素通りする人が大半なんじゃないでしょうか?
イギリスのチャリティー機関・チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)がWorld Giving Index(世界人助け指数)として、こんな調査結果を出しています。
日本は過去10年間の総合ランキングで126カ国中107位。
これは先進国の中では最下位です。
しかも、Participation in helping a stranger(見知らぬ人を助けたか)という項目では、全体で最下位です。
これが、海外の機関による調査結果というのだから、余計に信憑性があります。
「日本人は親切だ」という通説が、簡単に崩壊してしまうほどのインパクトがあるデータですね。
問題の本質はどこにあるんでしょうか?
問題の本質はどこにあるのか?
問題の本質を深掘りするべく、
・日本人の宗教倫理観
・江戸時代から連綿と続く無責任文化
について見てみましょう。
国教としての宗教的倫理観の柱がない
日本という国は、国教としての宗教的支柱がないことが原因の一つに挙げられます。
例えば、キリスト教は「愛」の宗教であり、「救い」というものを前面に打ち出しています。
これは「神との契約を交わした人であれば、社会の下層にいる人たちも救いますよ」という一種の選民思想なんですが、これが西欧社会の土台になっているのです。
一神教の力というのは強烈です。
キリスト教圏では、「若い人たちの信仰心は希薄になった」なんて言われてますが、それでも、イエスという絶対神の倫理観は無意識の深くに根を張っています。
これに対して、日本人には西欧社会のように宗教による強いメッセージがありません。
仏教にも「慈悲の心」というのがありますが、日本という国は多神教であるがゆえに、日本人の倫理観の力強い柱になるほどの影響力は持っていないのです。
江戸期にできた官僚的組織と町人意識
日本における官僚組織的な責任回避と自己保身の風潮は、実は江戸時代から連綿と続くものだったりします。
江戸幕府というのは265年もの間、徳川家のためだけに存続してきたようなものです。
士農工商という厳しい身分制度は、いい感じに町人を手なずけるのに成功し、この時に「お上には逆らうべからず」という雰囲気が出来上がりました。
水戸黄門で、
「この紋所が目に入らぬか!」
で徳川家の家紋を目にした途端、悪代官が無条件にひれ伏すシーンはあまりにも有名ですね。
こうした封建制度によって、国を舵取りするエリート層は責任回避と自己保身のエキスパートになり、庶民は政治に無関心で西欧諸国のような自立したマインドを持つことが難しい社会になってしまいました。
ちなみに大政奉還から現在に至るまで、大体150年くらいです。
徳川幕府265年という歳月がどれだけ永いものだったのかわかりますか?
現代日本にはびこる官僚組織と町人意識が、江戸時代の265年と、それから現在までの150年をかけて、どれだけ人々の意識の深くにアンカリングされているか想像してみてください。
日本人が持っている冷たさと無責任さにも合点がいくんじゃないでしょうか?
と、ここまで『日本人の自己責任論』について語ってきましたけど、そもそも日本人が論じている自己責任論って、かなり的外れだということを、この辺で指摘しておこうと思います。
「責任」の本来の意味って、日本人が思ってるようなネガティブなものじゃないんですよね。
そもそも責任をネガティブに捉えてしまっている
そもそも「責任」という言葉は、明治時代にResponsibility の訳語として生み出されました。
明治時代といえば、まだ「責任」という概念が日本になかった時代です。
そんな経緯もあって、「責任」という訳語は、誤訳の可能性が極めて高いのです。
スティーブン・コヴィー博士の『七つの習慣』でも言及されてますが、Responsibility という単語は、
【 response(反応する) + ability (能力)】
に分解することができます。
つまり、Responsibility とは自分の選択に対して「反応する能力」のことであり、その選択において人間は「自由(Liberty)」を体現できるのです。
日本では、「責任を負う」に見られるように、「責める」「負ける」という言葉が入っているせいで、責任をネガティブなものとして捉えてしまってます。
でも、英語で解釈してみると、そんなネガティブなイメージはどこにも見当たりませんね。
日本で自己責任論が話題になる時、『責任』の上に、こうしたネガティブなイメージを乗っけてしまってるので、常に的外れな議論に終始してしまっています。
「責任」の本来の意味をもっと人々が理解することができれば、日本はもっと他者に対して優しく寛容な国になっていくはずです。
主体性を発揮し、他人に優しく寛容な社会へ
幸せに生きていくために、僕は自己責任論を採用して生きていくべきだと思ってます。
もちろん、本来の意味での「正しい自己責任論」です。
日本では、「自己責任論」と「助け合い」が対立概念として語られるという、どこかズレた議論が行われてますが、本来、「自己責任」と「助け合い」って相反する概念じゃないんですよね。
むしろ、それらは共存すべき概念なのです。
自己責任論は助け合いの精神があってこそ成立するものなのに、当事者を支えるべき第三者が批判やバッシングに回るから、「自己責任論」と「助け合い」が対立概念として浮上してくるのです。
もちろん当事者は、自分で責任を引き受ける以上、他人の助けをアテにするべきではないし、自立したマインドを持つことは必須でしょう。
その上で、社会が「助け合いの雰囲気」を持つことで、当事者の自己責任というのが、躍動感を持って立体的に立ち上がってくるのです。
『七つの習慣』の中にこんな一節があります。
人に責任を持たせるのは、その人を突き放すことにはならない。逆にその人の主体性を認めることである。
「七つの習慣」
正しく責任を持った人は、主体性を発揮することができるようになります。
主体性を発揮することができれば、例えば、日本社会で自己責任バッシングが起きていようと、そこに加担せず、温かい目で見守ることができるようになります。
今の日本社会に欠けているのは、そうした暖かく見守る雰囲気だと感じています。
別に、積極的に手を差し伸べたりする必要はないと思います。
ただ、社会が助け合いの雰囲気を持っている。
それだけでも、長期的には責任の当事者をサポートすることに繋がるんじゃないでしょうか。
責任や自由という概念に関しては、【賢者の知恵袋】編集長によるこれらの記事も参考にしてみてください。
参考記事:
自由の意味とは?自由をデザインする技術を磨けば人生の自由度は上がる
参考記事:
ニセモノの自由人にご注意!本当の自由人は『人間らしさとしての5つの自由』を満たした人
この記事のまとめ
最後にこの記事のポイントをまとめておきますね。
・日本における自己責任論は冷酷さを伴っている
・日本では何かにつけて自己責任論が浮上する
・全体的に人助けマインドが希薄である
・日本人は「親切さ」と「冷たさ」という二面性を持っている
・日本には倫理観を支えるための強い宗教的支柱がない
・江戸時代から連綿と続く無責任さが根を張っている
・Responsibility の本来の意味は「反応する能力」
・「責任」という言葉にネガティブなイメージを持つべきではない
・「自己責任論」と「助け合い」は対立概念ではない
・責任の真の意味を理解することによって初めて、他人に対して寛容になれる
この記事が、日本社会にはびこる自己責任論の枠の外に抜け出して主体的に生きていくキッカケになったなら嬉しく思います。^ – ^
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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“自己責任論とは?日本社会の抱える本質的な問題とは?” への1件のフィードバック