責任を英語で考えると本来のポジティブな意味がわかる

どうも、サーファーのTakAです。

 

日本では、「責任」という言葉が誤解されているフシがあります。

「責任」という言葉は明治時代に日本へと輸入された外来語ですが、これは誤訳である可能性が極めて高いからです。

 

この記事では、「責任」のオリジナルワードである『Responsibility』を分解・再構築しつつ、その真意に迫ります。

読み終わる頃には、責任という言葉が持つポジティブな意味を理解できることでしょう。

責任を受け入れた人間の視界には、いつも自由が映っています。


また、併せて理解しておくといい内容の記事もまとめておきました。


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内容的にボリュームがありますが、このページをまずはお気に入りやブックマークに追加して、じっくりと読み込んでみてください。


では、本題に入っていきますね。

責任は英語でとらえよう

日本では、明治時代に多くの英書が輸入され、二葉亭四迷、西周、中村正直らによって日本語へと翻訳されたようです。

西欧文化が洪水のように流れ込んできていたこの時代、1500以上もの翻訳本が出版されたようですが、中には、翻訳が極めて難しい言葉も数多くあったようです。

と言うのも、翻訳するも何も、その単語が表す概念自体が当時の日本にはなかったからです。

例えば、

『liberty』
『society』
『individual』
『nature』

などという単語は、邦訳が極めて難しかったように思われます。

今、僕らはこれらの単語を目にした時、

「自由」
「社会」
「個人」
「自然」

という訳語で理解することができますが、それぞれの言葉が持つ本来のニュアンスまで理解している日本人はそんなに多くはないかもしれません。

 

(ちなみに、当編集長も『LIbertize』というコンセプトを掲げてますが、そこには一般的に考えれれている「自由」(Freedom)よりも、抽象度の高い意味が乗っかっています。『Libertize』 は liberty から派生した編集長による造語です。)


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とは言え、これらの単語は想像力を膨らませたり、抽象度を上げていけば割と理解可能だったりするわけですが、中には、

「これは誤訳なんじゃないか!?」

と思わせるような訳語もあります。

そうです、その一つが「責任」という言葉です。

おそらく、「責任」という言葉は、日本語のままただ眺めていても、その真意をつかまえることはできないでしょう。

誤訳疑惑があるわけですから。

日本語の「責任」という言葉にネガティブな印象を持っている人が多いのは、その語感によるところが大きいように思いますね。

責任は日本語ではネガティブに取られる

橋下大二郎氏が自身のブログで述べていることが、興味深いので引用してみます。

この方によれば、レスポンシビリティは文字通り、レスポンスの能力を指す言葉なので、対応力と訳されるべきだったのに、これを責任と訳したため、何か問題が起きた時に、そのことに、きちんと向き合って対応しようとせず、ただ頭を下げるだけで、責任をとったことにして、逃げる国になってしまったと指摘されます。

「責任」は誤訳か

確かに、僕ら日本人は「責任」と言う言葉に対して、ネガティブなイメージを持っています。

「責任を負う」なんて使われ方もしますが、「責める」「負う」という漢字からも、ポジティブな印象を持つのは難しいですね。

実際、自己責任論なんかが話題に挙がる時、必ずと言っていいほど、当事者の責任を追及する人や、場合によっては、糾弾する人が出てきますが、個人的には、的外れな感じがしなくもないです。

責任の英語はResponsibility

[名詞] responsibility:責任、責務、義理、負担、重荷

weblio 英和辞典・和英辞典

ということで、「責任」のオリジナルの姿である「Responsibility」という単語を、そのまま分解・再構築していきましょう。

ちなみに、僕も「責任」という日本語訳は誤訳だと感じています。

Response(反応)するAbility(能力)

スティーブン・コヴィー博士は自身の著書『七つの習慣』でこう述べています。

責任は英語でレスポンシビリティ(responsibility)という。レスポンス(renponse=反応)とアビリティ(ability= 能力)という二つの言葉でできていることがわかるだろう。

『七つの習慣』

『Responsibility』という単語は

【 Response(反応する) + Ability(能力) 】

に分解することができます。

 

そう、「Responsibility」とは反応する能力なのです。

「何に対して?」の反応でしょうか?

何に対して反応する能力なのか?

ナチスの強制収容所に送られ、壮絶な経験をしたオーストリアの心理学者・ヴィクトール・フランクルは以下のような言葉を残しています。

“Between stimulus and response there is a space. In that space is our power to choose our response. In our response lies our growth and our freedom.” –Victor Frankl

Psychology Today

訳してみました。

「刺激と反応の間にはスペースがある。

このスペースにおいて、私たちは反応を選択する力を発揮できるのだ。その反応の中にこそ、自分の成長と自由が横たわっているのだ。

 ーヴィクトール・フランクル」

おそらく、世の中の9割以上の人は「感情の奴隷」として生きています。

自分の中に湧き上がる感情に対してダイレクトに反応しているからです。

こんな感じで。

【刺激】
 
【反応】

かくいう僕も、僕は10~20代の頃、ヒッピーカルチャーの影響を受けて、反体制的な信念を持っていたので、そこから溢れ出るネガティブな感情に支配されて、完全に人生の主導権を失ってました。

その時の、僕の反応パターンは以下の通りです。

 

【刺激】     競争社会 
 
【反応】「勘弁してくれ!」

 

外部刺激によって生まれる感情によって、自分の人生を支配されています。
これでは自分の人生がコントロール不可能なものになってしまいますね。

しかし、ヴィクトール・フランクルは言います。

「外部刺激に即反応するのではなく、自らの責任において反応を選び取ることによって人生はコントロール可能なものになる」と。

こんな感じです。

【刺激】
   
【スペース・間】
    
【反応】

 

僕も、Responsibility「責任」の真意を理解したことで、以下のような解釈が可能になりました。

 

【刺激】 競争社会
    ↓
【スペース・間】
 
【反応】「競争しなくていい生き方を見つけよう!」

 

実際、今の僕は競争しなくてもいい生き方をしています。

 

ヴィクトール・フランクルはナチスの強制収容所で家族全員を失い、自身もガス室に送られるという筆舌に尽くし難い経験をしました。

普通なら、溢れ出るマイナス感情につかまって、発狂してしまうかもしれません。

しかし、彼は気が狂うどころか、後に自身の体験を下に『夜と霧』というベストセラーを執筆し、さらには、多くの聴衆の前で講演をして人々に生きる勇気を与えたのです。

このエピソードを聞く時、僕は人間の理性が持つ可能性を感じずにはいられません。

彼のエピソードから、僕らは人間の理性の本質を理解することができるし、僕はこのことを自らの経験を通して実感しています。

 

「刺激と反応の間(スペース)にこそ自由がある」

自由と責任は表裏一体

自由と責任というのは密接に関係し合っています。

巷では、自由奔放(Freedom)に振る舞うことが、「自由」だと思われている節がありますが、これって実は、感覚ベースの動物的な自由でしかありません。

その時々の感覚に従って、思うがままに振舞っているので頭を使う必要がないからです。

ストレートに表現するなら、自由奔放というのは「思考停止」だと言うことができます。

しかし、僕らは人間です。

人間がその他の動物と決定的に異なるのは、理性というものを持っているところにあります。

人間だけが、自らの責任において自由を選択していくことができるのです。

選択の自由があることに対し責任が発生する

自由の本質(Liberty)は、選択肢の多さです。

例えば、Aという選択肢しかない中でAを選ぶのと、A、B、C という選択肢の中からAを選ぶのとでは、結果は同じでも、後者の方が自由度ははるかに高いですよね?

『自由奔放』に生きていると、感情に支配されているため、思考の抽象度が低いまま、BやCといった選択肢が見えてません。

自由に生きていこうと思ったら、

A、B、C、D、E、F、、、、、

といった選択肢が見えている必要があります。

僕ら人間が、社会で自由に生きていこうと考えるなら、刺激に対してダイレクトに反応するのではなく、主体的に反応を選択していくことが不可欠なんです。

 

ヴィクトール・フランクルは、

「その反応の中にこそ、自分の成長と自由が横たわっている」

と言っていますが、外部刺激に対する反応を主体的に選び取ることで、あなたの責任というのは発生するのです。

その反応を選んだのは、他の誰でもないあなた自身ですからね。

自由に選べるからその結果に責任がある

もちろん、その選択の結果には責任がついてきます。

『七つの習慣』の中で、こんな面白いやり取りがあります。

ちょっと長くなりますが、示唆に富んでいるので引用してみますね。

大学で教えていた頃のことである。

一人の学生が「授業を休んでも構いませんか?テニスの合宿があるので」と言ってきた。

「行かなければならないのか、それとも行くことを選ぶのか、どちらだね?」

私は聞いた。

「実は、行かなくちゃいけないんです」

「行かないとどうなるんだい?」

「チームから外されます」

「そうなることについてどう思う?」

「いやです」

「つまり、チームから外されないという結果が欲しいから、行くことを選ぶわけだ。では、授業に出なかったらどうなる?」

「わかりません」

「よく考えてみなさい。授業に出なかった場合の自然な結果は何だと思うかね?」

「先生は落第点をつけたりはしませんよね?」

「それは社会的な結果だ。他人がもたらすものだ。テニスのチームに参加しなければ、プレーができない。それは自然な結果だ。授業に出なかった場合の自然な結果は?」

「学ぶ機会を失うことでしょうか?」

「そうだ。だからその結果と他の結果を比べて、選択しなさい。私だったらテニスの合宿に行く方を選択するだろうね。しかし、何かをしなければならない、などという言い方はしないでほしい。」

「では、テニスの合宿に行くことを選びます。」と彼はもじもじしながら答えた。

「わたしの授業を休んでまで?」と冗談半分でからかいながら言い返した。

『七つの習慣』

責任を転嫁しようとする学生に対して、先生が「選択するとはどう言うことなのか」ということを諭していますが、機知に溢れたやり取りだと思いますね。

この学生は自分でテニスの合宿を選んだフリにしてますが、実際は、先生の誘導によって選択しているのは明らかです。

それを見透かした先生は、

「わたしの授業を休んでまで?」= それなりの結果が待っているよ

とほのめかしていますね。

自分で下した選択の先には、自分の責任が乗っかった結果があります。

責任があるからには、その結果に対して反応する能力が求められるのは言うまでもありませんね。

自分の裁量で判断し、その結果に反応する能力

繰り返しになりますが、「自由(Liberty)」に生きていこうと思うなら、自分で人生の判断を下していくことが前提条件になります。

責任とは、そうした判断から生まれた結果に反応する能力なのです。

上記の例で言うと、自らの判断でテニスの合宿に参加して、授業の単位を取りこぼしたとしても、そこで生まれた結果というのは本人の責任の内に存在しています。

そうした結果を、自分で引き受けていくことが「責任負う」ということだと言えます。

責任を負う、も本来はポジティブな意味

ウィズダム英和によると、

「責任を負う: take  responsibility for ~ 」

となります。

日本語に見られるような負債めいたニュアンスはどこにもありませんね。

『負う』は『引き受ける』という意味

「責任を負う」と言うより、むしろ「責任を引き受ける」と表現した方がニュアンスとしてはしっくりくるかもしれません。

硬めの表現では、

「assume responsibility for ~」

となりますが、こちらも直訳で「引き受ける」となります。

また、「引き受ける」という言葉からは一人称的なニュアンスを感じますね。

「引き受けさせられる」のでもなく、「引き受けてしまう」のでもなく、自分の意思で主体的に「引き受ける」のです。

Where there’s a will, there’s a way.
「意思あるところに道は拓ける」

エイブラハム・リンカーン

リンカーンも言っているように、責任というものを自分の意思、つまり主体的に引き受けることで人生というのは開けていきます。

「責任を引き受ける」というのは、自分の意思で未来を切り開いて行くためのマインドセットだと言ってもいいですね。

引き受けるのは、自分が自由に選んだ結果だから

自由には責任が伴いますが、ほとんどの人は責任を負うことを恐れています。

ゆえに、「自由:Liberty」に辿り着くことが出来ずに「自由:Freedom」に終始するのです。

でも、考えてみてください。

「責任を負う」という言葉がポジティブな意味を持っているとすれば、恐れる理由は何もありませんよね?

責任を引き受けることで、僕らは「自由(Liberty)」という結果を受け取ることができるのです。

「責任を引き受ける」ことは、「自由を引き受ける」ことでもあるんですね。

責任能力とは成熟した大人が持てる特権

責任能力とは、自立した大人だけが持てる特権だと感じています。

それは「自由に生きていく決意」を持った大人の権利だと言ってもいいですね。

 

親の庇護の下にいる子供は責任能力を持つことができません。

ゆえに子供に与えられた「自由」とは、どんなに頑張っても「Freedom」止まりなのです。

「責任転嫁」や「責任逃れ」に躍起になる大人は多いですが、これって

「僕はまだ子供なんだ!」

と宣言しているようなものだということを理解しておく必要がありますね。

自己責任とは本来的には幸せなこと

僕は20代の半ばくらいでパラダイムシフトを経験しました。

あまり明るい話ではないですが、あえて話すと、僕はそれまで「うつ」という暗黒期を生きていました。

何をやってもうまく行かず、人間関係もグダグダ。

将来に対して希望もヘッタクレもなく、出口の見えないトンネルの中を歩いている気分でした。

そんな絶望の中、とあるキッカケで以下の決断をするに至りました。

それがこちら。

・自分の人生に起こる一切を他人のせいにしない
・自分の人生におけるすべてを自分の責任として引き受ける

これら二つは同じことを言っているんですが、要は責任の真意を理解して受け入れたわけです。

ここまで読んでくれたあなたなら、これ以降の展開は容易に想像できると思います。

もちろん、「うつ」も克服しています。

それどころか、まだまだ、この流れは止まっておらず、胸が震えるような素晴らしい出会いと知見に現在進行形で触れ続けています。

本当の話です。

あんまり言うとイヤらしく聞こえるかもしれませんが、自己責任というのは、本来的にはすごく幸せだということを理解して頂けたらと!

と言うことで、まずは「責任」という言葉からネガティブなイメージを取り除いてみてください。

責任という言葉からネガティブな意味づけを取り除こう

「Responsibility」という言葉は、その誤訳のせいで、日本ではネガティブなイメージが定着していますが、「ネガティブな思い込み」ほど人生の足を引っ張るものはありません。

ですので、まずは第一歩として、責任からネガティブなニュアンスを取り除いてフラットに捉えてみてください。

そして、願わくば、自分の人生を自分の責任として生きていく「決意」をしてもらえたら、僕にとってもこんなに嬉しいことはありません。

責任の真意を理解すれば、ものの考え方が変わってきます。

もちろん、思考が変われば行動も変わるし、現実も変わっていきます。

僕は自己責任マインドで生きるようになってから、多くの自己責任マインドを持った友人ができました。

彼らは皆、自分の責任において人生をデザインしていく術を知っているし、何よりも、彼らの視界にはいつも「自由」が映っています。

日本という国に閉塞感を感じて生きている人は多いですが、責任という言葉の本来の意味を理解し、「自由」を見つめて生きていける人間が増えることを、僕は心から願っています。

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この記事のまとめ

最後にこの記事のポイントをまとめておきますね。

・日本にはもともと責任に相当する概念がなかった

・「責任」という言葉はそもそも誤訳

・「責任を負う」という表現も本来的には間違い

・「Responsibiity」には「責め」「負け」というニュアンスは皆無

・責任とは「外部刺激に対して反応する能力」のこと

・責任と自由は表裏一体

・責任を受け入れた人間だけが自由に生きていくことができる



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